読書してますか?
新聞でも年代別読書率が掲載されていたりしますね。
若者の活字離れがイメージされやすいですが、
意外と40代、50代の読書率が低下しているそうです。
私は本をたくさん読むことをお勧めします。
読書はしましょう。
人生をよりよく生きるために、ぜひ読書をしましょう。
かくいう私は、週に2冊を目標にしています。月8冊くらい?
「少ねーじゃねーか\(゚ロ゚ )」
とおっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、金銭的にはこれくらいがギリです(;^_^A
私が買う本は一冊1,200円~3,000円くらいですから、これを×8すると月一万円を越えます。
実際ひと月の書籍代は15,000円と設定しています。
安月給じゃ、これが限界なのよ( ̄Д ̄;;
他には、毎月新刊から10冊を選んで、その一冊ずつの要約を4P前後でまとめた
TOP POINTという冊子を購読しています。
これは1ヶ月1,050円、1年間12,600円ですので、まぁまぁのコストパフォーマンスかなと思っています。
ってな感じで、冒頭から読書を勧めていますが、
私は小・中・高とほとんど本を読んできませんでした。
さすがに数冊は読んだとは思いますが、記憶に全く残っていないので、
おそらく両手で数えられるくらいだったのでしょう(漫画は大量に読みましたが)。
今からしてみれば、もっと読んでいればよかったな( ´△`)と思います。
しかし、当時はどうしても興味を持てませんでした。
理由としては、
読んでいても面白くない。
時間がかかる。
目が疲れる。
ゲームの方が面白い。
などなどだったんだと思います。
子供にとっては、十分な理由です。
ではなぜ現在の私はもったいないなぁ、と思うのか?
それは読書の利点を知ってしまったからです。
しかし当時の私はその点が「無知」だったので、本を読むことはありませんでした。
大学に入ってからは歴史小説を中心にビジネス書や経済誌も購読するようになりました。
このころにやっと人並みに本を読みようになりました。
ただし、読むスピードは鈍足で、音読か?というくらいの遅さでした。
さらに言えば、読書の理由は『なんとなく』でした。
少しでも知識を増やそうという気持ちが働いていたのかもしれません。
しかし『これを知りたい!』『学びたい!』という明確な目的はありませんでした。
それが今との大きな違いです。
そういえば、私が子どもの頃に読書をしなかったもう一つの理由として考えられるのは、
読書家の父の存在でした。
私の父は読書を好み、教育、歴史、文学のジャンルを広く読み漁っていました。
父は父なりに本から知識を得て、仕事(高校の教師)や家庭に生かしてきたのでしょうが、
そんな父の姿が少年だった私の目には、彼の読書に何らかの効果があるのか?、
と懐疑的に写りました。
父は熱心な教育者で、言動は彼の正義に沿っていると思わせる実直さをもっています。
この点は私の誇りであり、尊敬に値する性質だと思うのですが、
実直さが凝り固まって頑固が顔を出すときがあります。
どうにも『人はそれぞれの考えをもっている』という世の中の大前提を
理解できていないのではないか?と疑いたくなるほどに、自分の主張を曲げないことがあります。
『そういう考え方もあるんだな』という柔軟な受け入れ態勢をとることができない。
そのため、しばしば勃発した父と母の喧嘩を苦々しく眺めていた少年の心に、
『なんかいつも勉強しているけど、全然変わってないじゃないか』
という思いが生まれました。
これが『読書したって役にたたない』という考えを長い間抱かせ、
本に興味をもたないようにしてしまった原因の一つです。
現在でもこの考えは少し残っています。
それは『役に立たないなら読書したって意味がない』という形に姿を変えて残っています。
読書が有益であることは理解しました。
しかし、端にも棒にも引っかからない本があることも知りましたし、
読み方しだいで有益にも無駄にもなることも分かりました。
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途中脱線をしましたが、要は読書はいいものだ、ということです。
読書をただの満足感で終わらせてしまってはもったいないです。
効果的な読書法でどんどん成長しましょう。