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12月30日~1月3日まで実家にいて3日に本拠に戻ってきました。
人がたくさんいる生活から一人暮らしに戻るとどうしても寂しさを感じますねw
じきに慣れちゃって何も感じなくなるのですが(-ω-)-3
・・・慣れちゃうのもまずいんですかね?
今年も精力的に知識をインプットして、それを血肉に変えてアウトプットしていく所存です。
新しいことにも挑戦したいところですね。
不動産投資にも本腰を入れて取り組もうと考えています。
昨年同様具体的な目標は伏せておきます。私の心の中だけに秘めておこう。
それで昨年は割と上手くいったのでw
・・・改めて考えると、私は結構こういう因果関係のはなはだ怪しい経験則(環境とか)を気にするところがありますね。
ジンクスみたいな?
八百万の神というか宇宙意思というか、なんらかの意思が存在していると考えているからでしょうか?
自分でもよく分かりませんが(・ω・)
著名なトレーダーにも絶対的な運というか、それこそ神といった「何か」が自分に味方してくれている、と信じ込んでいる人がいるそうです。
恐らく精神的なバックボーンにしているのでしょう。
精神力の支えとなってくれる思想というのは大事だと思います。
ある人にとってはそれが宗教であったり、過去の成功体験だったりで、要はそれが自信なわけです。
自分の言動に自信を持つことができる。
だから迷いなく最大限の努力でもって目標に突き進める。
これが重要だと思います。
きっと誰しもが自分だけの宗教みたいなものをもっていると私は考えています。
(違いますかね?)
価値観や行動理念、善悪観念などその人の言動の根源にある思想ですね。
その人自身が考える自分の存在意義もここには存在しているはずです。
これが明確にないと人は「何のために生きてるんだろう?」と非常に不安定な精神状態になってしまうと思います。
こんなのは思春期あたりに半ば強制的に形成されるものなのでしょう。
ま~、「何のために生きてるのか?」なんてのは答えのない疑問であって、個人個人が独自の考えを見つけなければいけないことですよね。
ある人は家族を作ることで、「家族のために生きよう」と思うのでしょうし、
仕事大好き人間は「この仕事をやるために自分は生きてるんだ」という思いなんでしょう。
そういう思いがあるから人は希望をもって明日を生きられるのでしょう。
いや、希望をもてなくても辛うじて生きられるのか・・・?
学生の時分には私も人並みに自己の存在理由なんてのを悩んだものです。
哲学書なんてのはまともに読んだことはありませんが、ああいうのは所詮他人の考えであって、その上辺を読むのではなく、
自分の中で考えを煮詰めまくった結果得たものとを比較して納得するためのものだと思います。
それで私の場合は煮詰めた結果、芥川龍之介の河童に落ち着きましたが。
んでキリスト教とかイスラム教とか仏教とか様々な宗教というのは
生きるうえでの指針、行動規範をパッケージ化(ひとまとめに)したものだと私は考えています。
で、それを広めることで皆が社会で生活する上での共通の道徳を身に付けることができる。
とても便利なしろものだと思います。
しかし自分で苦悩しながら得たものではない所に危うさがあります。
極端に言えば、自分の考えを排除して他者の考えに乗っかっていれば精神的には充足してしまう。
とても受動的であり、操作されやすくなってしまう。
宗教には現代では「なんで?」って思いたくなる規制などがありますが、
そういうものを無理矢理納得させてしまうために神の存在が不可欠なのでしょう。
神ないし人知の及ばない絶対的存在が。
・・・なんか早速蛇足的な話をダラダラとしてしますねw 少し意図的ではあるのですが。
結局なにが言いたいかというと、強い意志をもって生きるためには精神的な裏づけが必要だということです。
・・・なんかすみませんね(^^;
【2013/01/06 01:00】
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